果実堂の人、ひと、ヒト

果実堂の人、ひと、ヒト21『髙木翔真リーダー(栽培管理)』

最年少でリーダーになった髙木翔真くんは、三重、山梨、千葉、宮城そして台湾のベビーリーフ農場を巡回しては栽培指導を行っています。相手の多くが年上ですが、それでも怯まずに理路整然とカイゼン箇所を指摘していきます。

しかし10年前といえば・・・・・
髙木くんがはじめて果実堂に姿を現したときは茶髪にピアス、ど派手なTシャツ姿。何が気に入らないのかひと言も話さず周囲を鋭い眼光で睨み付けてました。
入社面接の席で社長の口から「論外」という言葉が飛び出すまで、わずか数秒でした。
ところが進出したばかりの熊本県北部の和水町のベビーリーフ農場が慢性的な人手不足だったため、いつの間にか研修社員となり、我流でトラクターに乗り始めました。誰も教えてないのに腕前は上々で黙々と暗くなるまでベビーリーフ栽培に没頭し始めました。
反抗的な態度は、自分の夢が見つからない、やる気のある若者特有の焦燥感だったのです。

やがて高瀬技師長(現取締役)が大分から指導に来ると栽培に関する科学的知識を本格的に身につけて、さらにベビーリーフ栽培に打ち込んでいきました。

気がつけば栽培管理部の最年少のリーダー。「あとはお嫁さんだけだね」とまわりが言うと、一瞬、昔のこわもての顔に戻り、睨み返すのでした。

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(台湾の興農様にて。本人左から3番目)

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(忘年会ではSMAPのキムタクを担当)

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果実堂の人、ひと、ヒト20『岩永里枝サブリーダー(工場管理)』

一昨年の果実堂の忘年会のことです。ステージでは賑やかなバンド演奏が始まり、若手社員が大いに盛り上がっている時に、後方の席で一人ぽつんと座っている社員がいました。
工場管理部サブリーダーの岩永里枝さんです。

前日、彼女は胃がんであることが告げられていたのです。
岩永さんは2010年11月にパートとして入社しました。果実堂の工場がまだ西原村の築40年の小さな縫製工場を間借りしていた頃です。

「仕事も覚えてない入社したての頃、子供が4人とも結膜炎になって1カ月半も休むことになりました」
「もうクビだなと思って会社に戻ったら逆に温かく迎えいれてくれました」
「そのうちやらされている仕事から、やりがいのある仕事に変わっていきました」と岩永さんは当時を振り返って言います。

努力家の彼女は、その後、準社員を経て正社員となり、2017年にはサブリーダーに昇格しました。
そんな矢先のガン宣告でした。

胃の9割を切り取る大手術は7時間にも及びましたが子供の顔を思い浮かべて必死に耐えました。
退院した彼女は「会社に恩返しをしてないままで死ねません」と言って社長を号泣させました。

術後から1年、すっかり元気になった岩永サブリーダーは今日も工場の第一線でカイゼンに取り組んでいます。

(写真の青い帽子が岩永サブリーダー)

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果実堂の人、ひと、ヒト19『渡辺勤統括リーダー(栽培管理)』

8年前、果実堂の事務所がまだ西原村のプレハブだった頃、当時、大分県に勤務していた高瀬技師長を呼んで栽培技術の勉強会を始めることになりました。これが、今の高瀬塾(技術勉強会)の起源となります。

しかし、あろうことか新入社員の渡辺勤くんの姿がありませんでした。

「逃げたな!」
頭に血がのぼった社長が探し回り、ついに山鹿市で発見し、そのまま居酒屋に連れ込んで説教をはじめました。

「いいか渡辺、これからの日本の農業はサイエンスに基づく技術が大事なんだ」「+○%〜&#……」
モソモソ小声で話すため何を言っているかわかりません。

それから数年が経ち、果実堂は北海道のエア・ウォーター社の農園にベビーリーフ栽培の指導に行くことになり、渡辺くんがメンバーに抜擢されました。「大丈夫かな」と社長は心配になりました。

しかし戻ってきた彼はまるで体内に柱が立っているような芯のある若者に変わっていました。北海道で美しい奥様との出会いがあったのです。
今では栽培管理部の統括リーダーとして部下達に「サイエンスを勉強しない奴は果実堂にはいらん!」と気合いを入れています。

(写真中央が入社1年目の渡辺統括リーダー)

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果実堂の人、ひと、ヒト18『江尻のぶ子さん(工場管理)』

熊本地震の余波が色濃く残るパッキング工場に早朝から江尻さんの姿がありました。
冷蔵庫に僅かに残ったベビーリーフを取り出すと黙々とパッキングを始められました。社員は皆、その姿を見て弱った心を鼓舞することが出来ました。

「あの時、熊本部品の大屋社長様の計らいで天草からたくさんの方が支援にきてくれました。その時に思ったんですよ。きっと私の果実堂は良い会社に違いない、だって、どうでもいい会社には人は応援に来てくれないでしょう」
江尻さんは今年で入社11年目です。以来、果実堂の成長をずっと見守ってくれてます。

「雨漏りがして天井が落ちてきそうな西原村時代の工場が懐かしいですね。出荷が間に合わなくて泣きそうな日々でしたが、今思うと、あの時が一番楽しかったかもしれません」
と懐かしそうに創業時の苦労を語ってくれました。

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(写真左から2人目が江尻さん)

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(当時の西原村パッキング工場)

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果実堂の人、ひと、ヒト17『渡邉章宏サブリーダー(工場管理)』

ある晩、二次会の酒の席で、社員のひとりがポツリと言いました。
「あきちゃん(渡邉くん)がいなかったら、果実堂を辞めていたかもしれない・・・感謝している」
渡邉くんのまわりには、まるで暖かい陽差しを求めるように人が集まってきます。
不思議な笑顔、決して怒らない性格、第一級の聞き上手、そして勤勉。

12年前のこと。初めて借りる予定のビニールハウスから煙が出てました。事もあろうにハウス中央でたき火をしている青年がいました。
その青年は不思議な笑顔のまま救出され、そのまま面接もなく果実堂の社員になっていました。
やがて〈あきちゃん〉と命名されました。

果実堂グループの社員、パート総数は160名。しかし全員がいつも幸せとは限りません。
だから、あきちゃんは今日も悩みを抱えた社員の心を静かに癒してくれるのです。

(写真左から2番目が渡邉サブリーダー)

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(創業当時の渡邉サブリーダー(写真中央))

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